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仙台高等裁判所 昭和29年(う)667号 判決

控訴人 盛岡地方検察庁検察官 樋口直吉

被告人 菊地健三郎

弁護人 松島泰 泉国三郎

検察官 馬屋原成男

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮三月及び罰金壱万円に処する。

右罰金を完納しないときは二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

右禁錮刑に対し、原審における未決勾留日数を本刑に満つるまで算入する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

原審検察官樋口直吉の控訴趣意並びに弁護人泉国三郎の答弁は記録中の右検察官提出の控訴趣意書及び同弁護人提出の答弁書記載のとおりであるから之を引用する。

控訴趣意第一点について、

自己の放火罪に該当しない行為に因つて火を発せしめた者は、その火が刑法一〇八条以下に記載の物件に延焼する虞ある場合には、之を消止めることができる限り、その火を消止める義務があることはもちろんで、そのような者がそのような火を、消火に必要な手段をとらないで之を放置したときは、その意図がその火力を利用してその物件を焼燬するにあるときはもちろん、特にその火力を利用するというほどの積極的な意図がなくとも、右のような結果の発生を認識しながらあえて之を認容する意思を以てした場合でも、放火罪は成立するものと解するのを相当とする。しかしながら、本件二個の火災について之を検討するに、

一、先ず原判示第一の火災について見ると、被告人は用便等の照明のため自ら点火して使用した火がうつつて燃え出した紙の入つた石油箱を原判示菊池司方物置の前に放置して自宅に逃帰つたもので、当時その火は之を放置すればその物置から菊池方居宅母屋にも延焼するに至るべき状況にあつたこと、而して被告人がそれを放置して逃帰つた当時のその火の状況は、なお被告人の独力で容易に消止め得べき程度のものであつたことは記録上明かであるがその際、被告人がその火を放置して自宅に逃帰つた被告人の心境について之を考察すると、なるほど被告人の検察官に対する第三、四回供述調書中に論旨も指摘する如く、その火をそのまま放置すれば菊池方物置や母屋が当然火事になることは考えていた旨の供述記載が存するが、被告人の司法警察員に対する供述調書(但しその第一回供述調書は全然趣旨を異にし措信し得ないので之を除く)には右検察官に対する供述調書中の如き供述記載は全く存せず、却て、その際の被告人の気持として、「箱の中の紙が燃えたら簡単に消えるものと思つたのです。それが悪かつたのです。」(第二回供述調書記録三九五丁表)「火は紙であるから簡単に消えるものと思つたのです。」(第八回供述調書、同上四三〇丁表)なる供述記載がある。そして、これら司法警察員に対する供述調書及び検察官に対する供述調書中には一貫して、被告人はそのようにして自宅に帰つてから、すぐ寝床に入つてぐつすり眠つていて、菊池方の火事騒が起つたときは熟睡していたのを妻に起されて之を知つた旨の供述記載があり、この供述は被告人の妻菊池チウの司法警察員に対する供述調書及び原審証人としての証言中の之に照応する趣旨の部分に徴して措信し得るものであるが、記録に徴すれば菊池司方居宅と被告人方居宅とは僅かに約八米を離れているに過ぎず、菊池方が火災になれば被告人方も延焼の危険極めて大なるものがあつたこと及び被告人が前記の如く燃えている紙の入つた箱を菊池方物置前迄運び出した以上、その火の拡大延焼を避けるためには、ほんの一挙手一投足でその箱を傍らの田圃の中に投棄して容易に之を消止め得たものであること及び被告人方と菊池司方との間に、被告人が不作為にもせよ菊池方居宅の焼失を企図すべきような怨恨等の関係は何等存しなかつたことが明かで、これらを綜合すると、もし、被告人が、前記の箱の火が延焼して菊池方の物置から母屋に延焼することを認識しながら逃帰つたものであるとすれば、被告人は何等怨恨という程のものもない菊池方居宅が火事になり、ひいて自宅迄も火事になることの危険あることを認識しながら、一挙手一投足の労を以て容易にそのような事態になることを防ぎ得るのに、あえて之をせずにその場を立去り、しかも自宅に帰つてからは何等の心配もせずにすぐに眠り込んでしまつたということになるのであるが、このようなことは、当夜被告人が相当酩酊していたこと乃至は自分が火を不始末したことを他人に見られることを怖れて帰宅を急いだということを考慮に入れても、到底首肯し難いところである。被告人がその石油箱を便所の外に持出したのは、之を便所内に放置すれば燃上ることを怖れたためであると推測すべきであるが、そうまでしたのを物置の前に放置して傍の田圃に投出すという如き容易なことをすらしなかつたのは、そこに放置しただけで簡単に火が消え去ると思つたからであり、自宅に帰つてすぐぐつすり眠つてしまつたのは、その火のために火事が起ることの懸念などは毫末も抱かなかつたからであると見るのが自然である。何の恨みもない菊池方が火事になり、ひいて自分方までも火事になることの危険を認識したならば、自分が火を不始末したことを他人に見られることの不体裁を恥ずるどころではなく極力消火に努めたであろうと見る方が条理に合致するであろう。

以上の次第で、被告人の検察官に対する所論の供述は措信することを得ず、むしろ司法警察員に対する前記各供述こそ之を信用するに足るもので、被告人は原判示の火災について、その火が菊池司方の物置や母屋を延焼するに至るべきことを認識していなかつたことは明かであるから、原判示第一の火災につき、被告人に対して放火罪の成立を認めるの余地はない。

二、次に、原判示第二の火災について見るに、被告人は原判示藤原吉之丞方便所内で、用便等の照明のため自ら点火して使用した火が傍らの炭俵に延焼したのに、そのまま放置して逃帰つたもので当時その火は、之を放置すれば、その便所から、藤原方厩、母屋等に延焼するに至るべき状況に在つたことは記録上明かであるが、

1、先ず、当時、被告人がその火を消し止め得べき状況にあつたかどうかを検するに、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書中の供述記載によると、その際の経過は、被告人は藤原方便所に入り、用便に先立ち照明の用に供するため、便壺の傍に相当大量に積んであつた炭俵から茅を一握り(長さ約六寸のもの)を取つてマツチで点火して傍に置き、それからバンドを解きズボンを下げしやがんで大便をし、次に口に指を入れて二、三回嘔吐をしたのであるが、そうしているうちにふと辺りが明るくなつたので右の火を置いた方を見たところ、傍に積んであつた前記の炭俵の一部が燃えていたので、驚いて尻も拭かずにズボンを上げ、バンドをしめて火の傍に行き消し止めようとして右手で一回叩いたが消止めるに至らず、すぐその場を立去つたという次第であることが明かである。ところが、原審及び当審における各検証の結果、原審及び当審における証人藤原吉之丞の各証言を被告人の前記各供述調書中の供述記載と綜合すると、当時藤原吉之丞方便所の被告人が用便等をした部分の附近には、炭の空俵二十俵位が乱雑に置いてあり、その炭俵はよく乾いて燃え易くなつていたこと、而して被告人が点火した火が燃え移つたのは右の二十俵位あつた炭の空俵の一部であつたと認められるが、これらの炭俵の数、燃え易くなつていたことを、被告人が茅に点火してから火が燃上つたことに気付く迄の前述の経過に徴し、大便をし、次に二、三回嘔吐したということでもあり、その間多少の時間があつたこと等と併せ考え被告人が火の燃上つたことに気付いた時の火の状況は、必ずしも被告人一人の手で容易に消し止め得べき状況にあつたものと速断することはできない。

2、更に右の点に関する被告人の認識がどうであつたかを検討すると、被告人は、その火が燃上つたことに気付いて火を叩いたときの状況につき、検察官に対する第二回供述調書には、「右手で火のところを一回強く叩いたところ火勢は幾分弱くなつたがまだ燃えて居りました」(同上四四七丁裏)と、あたかも、更に叩き続けたら消止め得たかの如く供述しているが、司法警察員に対する各供述調書中には、叩いた結果火勢が弱くなつた旨の供述はなく、却てその第四回供述調書には「右手で消止めようと思つて叩いたのです。すると却て明くなつて来たのです。その際火を叩いて小指の付根を少し火傷しました」「一回叩いて見たものの消えそうもなく却て明くなり、便所内は何処でも見えるようになり」(同上四〇九丁裏、四一〇丁表)と、同第五回供述調書には「先に話した通り、一回叩いたのですが却て明るくなり消えなかつたので、これでは駄目だ誰かに見られて……火をつけて居たと話されても大変と思つて逃げたのであります」「家が焼けるとかいうことは考えませんです。只一人では手におえず、誰にも見られたくないといつた気持で一杯で、云々」(同上四一八丁)と明かに自分一人で消止めることができないと考えた旨の供述をしている。ところで、このように火の不始末をした場合、突嗟に浮ぶのは、先ず、大変だ消そうという考で、かまわずに逃げようとか、之を利用して火災を起そうという分別が湧くのはその後のことであろう。被告人の場合でもそうであつたことは、気がついたとたんに、尻も拭かずあわてて一回叩いて消そうと試みた事実に徴しても明かである。而して、記録に徴すれば、被告人が藤原吉之丞に対して恩議を受けていたこそあれ恨を懐いていた形跡は全くなく、又酩酊すればだらしなくなることはあるが、他人に暴行をしたり危害を加えたりするような性癖のないことも明かであるが、そのような被告人が、右の火を消止め得ると思いながら、あえて消止めることもせずに、というよりは、むしろ、一度消そうとしたのを中止して、人に見られることの怖しさの一念からその場を逃出すと考えるよりは、やはり消そうとは試みたが、手に負えないと見て、その瞬間人に見られることの怖しさという分別に囚われてその場を逃去つたと見る方が妥当と認められる。そうだとすれば、前記の各供述の中司法警察員に対する供述の方が事情に適して措信するに足るもので、即ち、その当時の被告人としては、その火は自分一人で消止めることはできないと判断したものと認めるのが相当である。

3、次に、被告人が藤原吉之丞方便所を立去る際、その火が拡大して、該便所はもちろん、藤原方の母屋その他の建物までも焼失するに至るべきことを認識しながら、その結果の発生を認容する意思の下にその場を立去つたかどうかの点であるが、この点についても、被告人の検察官に対する第二回供述調書には「誰も気がつかなければ火事になつて、すぐ厩、母屋、土蔵等に燃移るのではないかと思つた」旨、同第四回供述調書には「そのまま放置すれば母屋が焼けるかも知れないと思いながら逃げて来たのは、他人に見られたくないという一念からであつた」旨の各供述記載がある。而して、他人に見られたくない一念、即ち、犯行の発覚を免れたいという念慮のみから結果の発生を認識しながらその場を逃去るということを以て、結果の発生を認容したものといい得るかどうかも疑問であるが、それはさておき、被告人の司法警察員に対する供述調書中には、右の如き建物延焼の危険を認識した旨の供述記載は全然存せず、却て、その第五回供述調書中には、特に、「逃げる時現に火が燃えるのを見て居て逃げるのであるから、家が燃えても仕方がないと思つたのか」との問を受けたのに対し、「家が焼けるとかいつた事は考えませんです。只一人では手におえず誰にも見られたくないといつた気持で一杯で、他に火が大きくなつて家まで焼けるとは考えつきませんです。又誰か早く見つけて消してくれるかとも考えませんで、只逃げるといつた気持です。」と答えた供述記載(同上四一八丁)が存するのである。もとよりこの供述でも、「一人では手におえない」と思つたというのであるから、それは、その火が大事に至ること、即ち、少くともその便所やそれに接着した厩位が火事になること位は感得していたものであると推論し得ないことはない。しかし、周章狼狽した場合の突嗟の間における右程度の感得は、いわば反射的のもので、犯意の要件たる「認識」とはいい難く、いわんやこのことから「結果の発生の認容」という如き、「認識」から一歩進んだ精神活動があつたと見得ないことは明かで、要するに、右の司法警察員に対する供述は、当時被告人としては、建物焼燬の結果を発生すべきことの認識もなく、いわんやそれを認容する意思はなかつたということを意味するものである。而して、その際の被告人の行動経過は前叙の通りで、周章狼狽していたことは明かであり、かつ当時相当に酩酊していたことをも併せ考え、その際の被告人の心理としては、右司法警察員に対する供述の如き心理は、十分にあり得ることで、特に偽りとは見られない。又記録を通読するに、被告人の司法警察員に対する第二回供述調書以降の供述記載が、特に自己の責任を軽少ならしめるために虚偽の陳述をしたものとも認められず、却て被告人の検察官に対する供述調書の供述記載中には、被告人が取調中に回顧反省した結果をも混同して供述したかの感を与える点が少からず、同供述調書中前記摘録の部分も措信し難い。

果して然らば、原判示第二の火災についても、被告人に対して放火罪の成立を肯定し得ないことは明かである。

以上の次第で論旨は理由がない。

同上第二点について、

原判示第一、第二の火災について被告人に対して放火罪の成立を肯定し得ないことは前段説明の通りである。ところで、論旨に鑑み、原審が本件二個の火災について被告人の重過失失火を肯定しなかつたことの当否を検討すると、

一、先ず原判示第一の火災について見るに、被告人が菊池司方便所から持出した火のついた紙の入つた箱を放置した位置と、同人方物置、特にその当時そこに立てかけてあつたという五、六束の萱その他可燃物との位置関係の正確なことは記録上不明で、その箱をそこに放置すれば、火がその物置に延焼するに至るべき危険は極めて大で、僅少の注意を以てしてもその危険を認識し得べき状況に在つたか否かは不明であり、更に審理を続けたところでそれを明かにし得るものとも認められない。果して然らば原審がこの火災について重過失失火を認めず、通常過失による失火を認めたのは正当で、審理不尽の違法もない。

二、次に原判示第二の火災について見ると、原判決が、この火災につき被告人が、炭俵に火が燃移つたのに気がついた後の処置に関して過失を認めていることが誤りで、むしろ、最初に照明代用に用いた萱に点した火の使用に当つての不注意に過失を認めるべきことは後段説明の如くで、右原判示と同様の段階に関して重過失を認めるべきものの如く主張する論旨は正当でない。ところで、被告人の過失を後段説明の如き段階において認める場合、それを重過失と認めるべきか否かを考察すると、

1、司法警察員の昭和二十八年五月二十三日附実況見分書、原審第一回検証(昭和二十八年九月二十一、二日施行)調書及び当審検証調書、原審及び当審における証人藤原吉之丞の各証言を綜合すると、原判示第二の発火場所たる藤原吉之丞方便所は、東西一間半南北二間の大きさで、入口は南側東寄りに在り、内部には、東西一米一五糎南北三米のコンクリート造り便壼が土中に埋めてあり、その内南部一米は豚の肥溜、北部二米は人間が用便する便壼で、その上に踏板四枚を東西に渡し、それをまたいで用便するようにしてあつた。豚の肥溜は板で掩い、人間の便壺の南端の踏板から続いて、豚の便壺の上にはいろいろな物が置いてあつた。その中で、人間の便壺の南端の踏板の半分位迄出て、その踏板の中央から東寄りに、ちゆうぎ(大便をしたとき用便紙の代りに用いる木片)入れのみかんの小箱より少し大きい木箱が一個あり、それは、南端の踏板と、その次の踏板とにまたいで東を向いてしやがめば手の届く位置にあつた。ちゆうぎ入れの箱の西には袋に入つた肥料が三俵、ちゆうぎ入れの箱や肥料の南には、除草機、田植用縄、糠箱等各一個あり更にそれらの物の上に馬肥を入れて運ぶのに使う空炭俵が約二十俵積んであつた。而してその炭俵の位置は、一部ちゆうぎ入箱にかかり(即ちちゆうぎ入れ箱は炭俵の下に一部露出していた。)豚の肥溜の東南部寄りにあつた。なお、右の炭俵の積んであつた附近に樽はなく、露出していた箱としてはちゆうぎ入れ箱のみであつたことが明かである。そうだとすれば、右ちゆうぎ入れ箱の上に火のついた萱片をおけば、それが箱のどの部分に置いたとしても、その上にある炭俵に延焼し、ひいて、便所、更には原判示第二の藤原方各建物に延焼するに至る危険は極めて大で、かつ、容易に之を認識し得べき状況にあつたと認めざるを得ない。

2、ところで、被告人の司法警察員に対する第四回供述調書によると、被告人は、藤原方便所内に入つて、照明用のため、そこにあつた炭俵から萱を一握りむしりとつて、マツチで点火した上、「炭俵の積んである横に樽か箱があつたと思いますが、その上に炭俵から離して置いたと思います」(同上四〇九丁表)と述べ、同第五回供述調書では「前から働きに行つて知つているが、入口から入つてすぐ左側に豚の小便等を入れて置く壺があり、その上に炭俵が二、三十枚積んであつたのです。高さは約四尺位ではないかと思います。私が立つて稍斜下に手を差延べて炭俵の萱の葉をむしり取つたのです。取つた量はほんの一握りで、長さは六寸位は長い方でありました」、「(その萱に点火した後)それを、用便する内と思つて、炭俵の乗つている箱かどうかは詳しく解りませんが、炭俵の横の箱か何かの上に置いたのです」(同上四一七、四一八丁)と述べているのである。そうだとすると、被告人はそこに相当多量の炭俵が積んであつたことはもちろん、萱につけた火をその炭俵の横の樽か箱の上に置いたことも認識していたのであり、前記現場の状況から見て、被告人が火のついた萱片をおいたのはちゆうぎ入れ箱でなければならぬと認められるのである。

3、以上の次第で、被告人は、原判示第二の如くに火を用いれば、建物焼燬の危険が極めて大で、かつ、容易に之を認識し得べき状況にあつたのであるからその際火を用いるに当つては、そもそもその火をちゆうぎ入れ箱の上に置くことを避けるか、仮りにそこに置くとすれば、それが炭俵に燃え移らぬよう万全の措置をとるべき注意義務があつたのである。しかるに被告人は、右の如き危険を認識せず、漫然右の如き注意を怠つて原判示第二の如き建物焼燬の結果を惹起せしめたのであるから、その過失は刑法第百十七条ノ二の重過失に該当することは疑いがない。原判決が之を単純過失と認めたのは事実を誤認したもので、その違法が判決に影響を及ぼすことは明白であるから、原判決は破棄を免れない。

以上の次第で本論旨は理由がある。

進んで職権を以て按ずるに、記録及び当審における事実取調の結果によれば、さきに控訴趣意第一点についての判断の中で説明したように、原判示第二の火災において、被告人が藤原吉之丞方便所で、照明の代りに用いた火が傍の炭俵に燃移つたことに気付いた当時のその火の勢は、客観的にも、被告人において消止め得べきものであつたとは速断し難く、かつ、被告人としては、到底自分の手にはおえないものと判断したものと認めるのが相当であるから、之を消止めなかつたことに過失を認めることを得ないことは当然で、むしろ被告人が最初萱片に点火して照明に用いるに当つて、その火を漫然その附近に置いたまま使用すれば、場合によつては附近には前記の二十俵位の燃え易い炭俵もあることであるから、それに移り、更にその便所及びそれに接続している藤原方の厩、同人方母屋その他の建物に延焼する危険が極めて大で、かつ、容易に之を認識し得べき状態にあつたのであるから、その火を用いるには、右の如き危険の発生しないよう万全の注意をすべき義務があつたのにそれを怠り、その結果火災を発生せしめた点に過失を認めるのが相当である。しかるに原判決は、この点につき、右の最初点火した火を用いるに当つての過失は之を認定せず、炭俵に燃え移つた後、消止めを怠つた点に過失を認めているのであつて、その誤りは明かであり、その違法が判決に影響を及ぼすことは明白であるから、この点においても原判決は破棄を免れない。

よつて刑事訴訟法第三百九十七条に則り、原判決を破棄し、同法第四百条但書に則り、当裁判所自ら次の通り判決する。

当裁判所が認定した事実及びその証拠並びに弁護人の心身喪失の主張に対する判断は、原判示第二の事実を、

「第二、昭和二十八年五月二十二日、附近の山で炭焼稼ぎをしての帰途同村大字橋野第三十二地割八幡忠次郎方の雨打石を敷いた祝いに招かれ、酒食の馳走を受け、酩酊の上、午后十時頃帰宅の途についたが、途中前記性癖たる便意と嘔気を催したため、止むなく、かねて様子を知つている同大字第三十四地割二十番地精米業藤原吉之丞方厩に接続した便所(東西一間半南北二間)に入り、暗いため、便所の南部にあつた炭俵から萱の片一握り(長さ六寸位のもの)を取り、之に所携のマツチで点火し、傍のちゆうぎ入れ箱(みかんの小箱より少し大きい位の木箱)の上に置いて照明に使用したのであるが、当時、そのちゆうぎ入箱の上には炭の空俵が約二十俵積んであり、ちゆうぎ入れの箱の上に右の火を置けば、該炭俵に延焼し、ひいてその便所から厩及び藤原方居宅母屋に延焼する危険極めて大で、かつ、容易に之を認識し得べき状況にあつたものであるから、右の如く火を用いるに当つては、ちゆうぎ入れ箱の上に置くことを避けるか、仮りにそこにおくならば、右の炭俵に延焼することを防止するよう万全の措置を講ずべき注意義務があつたのにかかわらず、重大な過失に困りこの注意義務を怠り、右の如き結果の発生を認識せず、かつその火の状況に何等の注意も払わず、漫然大便をし、嘔吐を続けていたため、その間に火が右の炭俵に移り更に拡大して藤原吉之丞所有の前記便所及び之に接続する厩、精米所及び人の現在する母屋等の各建物を全焼するに至らしめ」

と変更する外原判決の事実摘示証拠説明並びに「弁護人の主張に対する判断」と同一であるから、之を引用する。

法律に照すと、被告人の判示第一の所為は刑法第百十六条第一項罰金等臨時措置法第二条第三条に、同第二の所為は刑法第百十七条ノ二後段罰金等臨時措置法第二条第三条に、それぞれ該当するところ右は刑法第四十五条前段の併合罪であるが、後者につき禁錮刑を選択し同法第四十八条第一項により、右各罪の刑を併科することとし、所定刑期及び罰金額の範囲内で、被告人を禁錮三月(判示第二の罪につき)及び罰金一万円(同第一の罪につき)に処し、右罰金を完納することができないときは刑法第十八条に則り、二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置すべく、原審における未決勾留日数は、之を、本刑に満つるまで、右禁錮刑に算入すべく、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条に則り、全部被告人をして負担せしむべきものとする。

よつて主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 鈴木禎次郎 裁判官 蓮見重治 裁判官 細野幸雄)

検察官樋口直吉の控訴趣意

原判決には事実誤認及び審理不尽の違法があつて右は判決に影響を及ぼす事明らかであるから、破棄せらるべきものと信ずる。即ち、原判決は本件公訴事実に対し、別紙謄本記載の通り単純失火罪を認定しているのであるが、之は以下に於て論述する如く誠に不当な判決と考える。

第一点、原判決には事実誤認の違法がある。

(一) 本件については各公訴事実を認むるに足る十分なる証拠がある。原判決は公訴事実第一については「石油箱の火を完全に消火し延焼のおそれがない事を確認して立去るべき注意義務」、公訴事実第二については「炭俵の火を完全に消火し延焼のおそれがない事を確認したる後立去るべき注意義務」のある事を各認定し、被害者菊池司方並に被害者藤原吉之丞方に対する各家屋焼燬の認識がないものとして失火罪を認定しているのであるが、之については左のやうな証拠があり、充分放火罪を認められるものである。(A)、被告人の検察官に対する第三回供述調書に於ける「物置には茅が立てかけてあり、又其の中には藁も積んであつた事ですから之に燃え移つて物置が火事になれば物置に接近して司の家があるから当然司の家も火事になると言ふ事は考えている処である」との記載並に第四回供述調書に於ける「前回も述べた通り其の侭放置すれば火事になつて母屋が焼けるかも知れないと思い乍ら逃げて来たのは他人に見つけられたくないと言う一心からでした他人に見つけられたくないと云うのは、若し見つかれば犯罪人として取調べを受ける事になり、さうなれば被害者や村人に会わす顔がないと思つたのです」との記載、(B)、公訴事実第二について検察官に対する第二回供述調書に於ける「誰も気が付かなければ、火事になつてすぐ傍に厩と牛舎があり、之に燃え移つて母屋、土蔵、精米所等何れも接近しているから、或は之等に燃え移るのではないかと思つた」との記載並に第四回供述調書に於ける前同様の記載、(C)、右各被告人の供述を裏付けるに足る左の如き各証拠がある。被害者菊池司の司法警察員に対する第一回の供述調書に於ける被告人が石油箱を放置した物置並に其の附近の状況について「住家の真裏に屋根をかけ下して間口三間、奥行一間の物置にしてあり、中には南西隅に漬物桶が一箇と藁四、五丸(一丸が二十四、五把)と板及び欅板や鍬等の農具等が置いてありました其の物置の真裏軒端に茅五、六把を立てかけてありましたが、此の物置は縦板張で、屋根は杉皮葺のものでした。」との記載、同人の原審裁判所作成の検証調書に於ける立会人としての「便所の南側軒下にはその壁板に沿つて、長さ約四、五十糎の小豆殻五、六把(直径三、四十糎)が約一米の高さに積んであり、その南端はこの辺(写真36)で、又物置の裏には壁板に沿つて長さ約六、七尺、直径一尺の茅束五、六把が南北に横にして置いてあり、その北端は此の辺(写真36)迄来て居りましたが小豆殻と藁束との間には便所えの通路として人が一人通行出来る位いの間隔はありました」との記載、同人の証人尋問調書に於ける「問 小豆の殻は何時とつたか、答 丁度今頃です。問 ではその小豆の殻と言うのは前の年の今頃とつた殻を置いてあつたのか、答 そうです。問 茅の方はどうか、答 やはり前の年の今頃とつた茅を置いたのでした。」との記載、被害者藤原吉之丞の本件発火の場所である便所及び其の附近の状況について司法警察員に対する第二回供述調書に於ける「古い密柑箱の大きいのを二つばかりふせて置いてあり、其の箱の上にいくらかかぶさつていた様に記憶していますが、肥料運搬用の古い炭すごが大体二十枚位いまるかないで置いてありました、此の古い炭すごと言うのは前から厩肥や豚肥を入れて運搬の時家で使つていたものでしたが今年(昭和二十八年)の四月始め頃、健三郎(被告人)が早栃の畑にいも(じやがいも)まきするから、肥料を運ぶに入れものがないから貸してくれと言ふので、便所に置いてあるすご二十枚ばかりを貸して使わせたのです、使ふとすぐ健三郎がその炭すごを家に持つて来て返されたのですが、健三郎が便所に置いて行つたのであります、炭すごを置いた箇所はでと(端)の方でしたし、炭すごの裏には肥料(石灰窒素)三俵半を重ねて置き其の上には麦打ち用の(せんばん)と言いますがそれを置いてあり、更に其の後ろには使用されない程度に壊れたにないこが一箇置いてあつた筈です、更に炭すごの向つて左側後ろの方には田植用の縄が置いてある筈でした、縄と肥料の置いてあつた間には除草機を置いてありました」との記載及び司法警察員作成の実況見分調書及び原審裁判所のなした検証調書の右発火地点である便所並に其の附近の状況に関する記載、これ等の各証拠を綜合すれば、公訴事実第一記載の菊池司方物置附近の状況は、被告人がなした如き燃えつつある石油箱を右物置の角で而も茅束の側に放置すれば、一触即発の危険な状態にあつた事は明瞭であり、又公訴第二事実の被害者藤原方の便所及び其の附近の状況も便所は厩との接続建物で厩の北方に牛小屋が接続し、更に牛小屋と十五尺の間隔を置いて北方に土蔵が建てられ、牛小展、土蔵の東側に九尺の間隔を置いて本屋が建ち、厩の南方六尺六寸の距離を隔て精米所が建てられている事明らかで、之等の状況を綜合すれば被告人が点火した本件便所附近は極めて危険な状況にあつた事は誠に明瞭である。而して斯かる危険な状況を被告人が判つていた事は、被害者菊池司方は隣家であつて、常に往来をしていた事実によつて窺知し得るが、此の点については被告人の検察官に対する第一回供述調書に於ける「丁度物置の西側には茅を立てかけてあつた事は私も知つて居りました、又物置の中には藁も積んでありましたし、風はありませんでしたが危険な状態であつた事は間違いありません」との記載によつても明瞭であり、被害者藤原方の便所附近に於ける前記の危険な状態も、被告人は平素右藤原方に日雇に傭れ出入していた事実に徴し認める事が出来ると考えられる。しかも被告人は公判廷に於て全面的に公訴事実を否認しているのであるが、斯かる被告人の態度は警察並に検察庁に於ける各供述を根柢からひるがえしているものであつて、このように各点火の事実さえ否認せんとする心情に徴すれば放火に対する末必の故意を隠蔽しようとするものと推測され、斯かる否認の態度は本件放火の事実に対する間接な積極的証拠になるものと思料される。(D)、前に引用した被告人の司法警察官に対する供述調書の記載によれば被告人は居村の消防団員で本件放火以前に於てしばしば火災の消火に従事した経験を持つているものであるから被告人は一般人よりも火災に関してはより高度の関心と判断力を持つていることが窺われる次等であるから前に引用した被告人の検察官及び司法警察官に対する供述調書の記載、原審裁判所作成の検証調書並に司法警察員作成の実況見分調書の記載に徴して明らかな如く公訴事実第一関係の被害者菊池司方の場合に於ては同人方物置西側はわずかの距離を隔て水田に接しているのであるから被告人が若し他人に発見されることを虞れて逃走するのでなかつたなら燃える石油箱を物置の外側に置いてあつた茅より適当の距離をおいて放置するか或は直ちに側の水田に投棄して石油箱の火を消火する等容易にこの火を大事に至らしめないで済んだ筈であり、公訴事実第二関係の被害者藤原吉之丞方の場合に於ては若し被告人が他人に発見されることを虞れて逃走するのでなかつたならば炭俵に燃え移つた火を右手で一回たたいて消そうとした場合前示の如く其の消防夫としての経験もあるので更に消火につとめれば容易に消止められたことを推認せられるところであるのに被告人は本件火災の拡大防止に努力することなく逃走したものである事情が明らかであるからこの点からしても前述の如き本件放火に対する被告人の犯意を認めることが出来ると考える。

(二)、原判決は前記の如き被告人の検察官に対する各供述は疎信し難いものとして採用しなかつた理由を挙げているがその論の採り得ざるものであること左に摘示の通りである。即ち、別紙原審判決謄本によつて明らかな如く、採用しなかつた理由の一として被告人の司法警察員に対する自供の経過を上げて居り、被告人の司法警察員に対する供述の中には判示の如く「過つて火をつけた」と云う言葉が散見されるのであるが、本件は通常の放火の如く深い動機を伴つたものではなく不作為による放火であるから知識程度の低い被告人が其の様な供述をするのは当然考えられる処であつて之を以て逃走に際し被告人に家屋焼燬の認識がなかつたものと速断する事は出来ない。

又排斥した理由の一つに上げている当時被告人が飲酒していた点については第一の犯行当夜、午後八時頃夕食時に被告人が焼酎二合程度飲み、更に附近馬検場に至り被告人を含む合計六人で清酒一升を飲んだ事、又第二の犯行当夜被告人が八幡竹次郎方に呼ばれて清酒相当量を飲んだ事は被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書並に関係人の供述によつて明らかであるが、原判決自体弁護人の犯行当時飲酒して居り心神喪失の状態にあつたと云ふ主張を排斥しているもので、此の飲酒程度に於ては被告人に家屋焼燬の認識があつた事は明瞭で従つて其の認識がなかつたものと断ずる事由とはなり得ないものである。又原判決は被告人が放火後県道を通つた事をも犯意の無かつた一資料としているようであるが、司法警察員作成の実況見分調書、裁判官作成の検証調書によつて明らかなように、被告人宅は被害者宅の西方に位置し被害者宅の西方は何れも水田で犯行当時の五月二十二日と云えば水田に水があり、被害者便所西側小路は菊池千代松方に至る袋道で、若し之等の水田等を被告人が帰宅すれば、却つて怪しまれるおそれが多分にあり、従つて原判決の他人に発見される事をおそれた被告人が人通り多い県道を選んで帰途についたのは不合理であると言ふ認定は当らない。

(三)、原判決は本件を結局失火と認定したのであるが、之は従来の大審院の判例の解釈を誤り犯意と動機を混同した為と考えられる。本件は不作為による放火罪として起訴したものであるが、かかる放火罪は例えば「自己の故意行為に帰すべからざる原因により、既に刑法第百八条以下に記載する物件に発火したる場合に於て之を消止むべき法律上の義務を有し、且、容易に之を消止め得る地位ある者が其の発火の火力を利用する意思をもつて鎮火に必要なる手段をとらざる時」は放火罪が成立するとしている判例(大判大正七年刑録二十四集一五五八頁、大正六年(れ)三四五三号、大判昭和十三年刑集十七巻二三七頁、昭和十二年(れ)二、三〇四号)によつて認られていたこと明白であり而も右二判例中前者は「被告人と養父が争闘の際、偶養父が投付けたる燃木尻の火が住宅内庭に積みありたる藁に飛散し燃え上りたる場合」であり、後者は「被告人が神棚に二基の灯明を献じ礼拝したるに中一基は蝋燭立が不完全になりしため点火せる長さ約二寸の蝋燭は西北方即ち神殿及多数の木製、神符等を祭祀せる方位に傾斜し顛落の虞ありしが(中略)其の侭放置した場合」であつて本件の如く被告人自身の作為によつて現に火災発生の危険状態を生ぜしめた場合に比較しその消火義務の程度は軽いと云わねばならないのにかかわらず尚放火罪として処断しているのであるのであつて、かかる義務違背を作為と同視することは刑法解説であり例えば改正刑法仮案第十三条第一項は「罪となるべき事実の発生を防止する法律上の義務ある者其の発生を防止せざるときは作為により、其の事実を発生せしめたる者と同じく之を罰す」と規定し、其の第二項には「作為により事実発生の危険を生ぜしめたる者は其の発生を防止する義務を負う」と規定していることに徴しても肯認されるべきものと考える。而して前記判例によれば一見「その発火の火力を利用する意思」と云ふ特別な意思を必要とする如く解せられるのであが、判例は犯意に関し一貫して認識主義の立場を堅持しおり、前記判文に於ける前後の文脈を仔細に検討すれば右「その発火の火力を利用する意思」とは要するに「家屋焼燬の認識」と云う言葉を斯くの如く表現したに過ぎないものと解せられるのである。しからば本件不作為による放火に於ける動機並犯意は如何と云うに被告人の司法警察員に対する第二回供述調書に於ける「菊池司の後は便所になつて居りそのすぐ後ろは道路で人が歩くので誰にも見られたくないと云う考えで家に入つたのです」との記載(公訴事実第一関係)、被告人の司法警察員に対する第五回供述調書「慌てて尻も拭かずずぼんをはいて先に話した通り一回叩いたのですが却つて明るくなり消えなかつたので之では駄目だ誰かに見られてから健三郎が田尻の便所に火をつけていたと話されても大変と思い逃げたのであります」との記載(公訴事実第二関係)、被告人の検察官に対する第四回供述調書「其の侭放置すれば火事になつて母屋が焼けるかも知れないと思い乍ら逃げて来たのは他人に見つけられたくないと云ふ一心からでした」との記載(公訴事実第一及第二関係)等より明らかな如くその動機は「自己の不法行為乃至は不始末を他人に発見される事を免れんとした為」であり、其の犯意は本件発火にあたつてこれを他人に発見され其の不始末を責められるよりはたとえ家屋が焼燬するに至つても逃走した方が有利であると決意した其の認識と意志決定である。換言すれば本件の如き夜間に於ける他家の便所使用、点火等の自分の不始末により発生した火災に対する村民の非難を免れる為家屋に延焼することを知り乍ら、しかも容易に消火し得たのに拘らず其の努力をなすことなく放置して逃走したこの一連の経過は消火よりも家屋焼燬の途を撰むだことを意味して居り本件は前示判例に正に該当して居る場合と謂はなければならない。しかして原判決が被告人の有利のために指摘した「単に小心者の被告人が唯他人に発見されるのを怖れて逃走した」と云う弁解の如きは却つて被告人に家屋焼燬の認識が有り乍ら尚且つ逃走した事を表現して余りあるものと云うべきである。斯くの如く、本件公訴事実は被告人の検察官に対する供述調書其の他客観的証拠により其の証明十分であるに拘らず被告人に「家屋焼燬の認識」がなかつたと判断した原判決は証拠の価値判断を誤つて事実の誤認に陥つた違法なものである。

第二点原判決には審理不尽の違法がある。

原判決は公訴事実第一についてその発火は被告人が点火した紙を箱の中に落した為、其の中に入つている紙に燃え移り之を菊地司方物置外側に置いてあつた茅の側に持出した事を認定の上「断る場合之等の建物に延焼する危険を考慮し、右石油箱の火を完全に消火し延焼の怖がない事を確認して立去るべき注意義務」がある事を認め、又公訴事実第二についてはむしりとつた茅に点火して之を炭俵横の箱の上に置いた為、炭俵に火が燃え移つた事を認定の上「斯る場合これらの建物に延焼する危険を考慮し、右炭俵の火を完全に消火し延焼の怖がない事を確認したる後立去るべき注意義務」がある事を認めて、結局単純な失火罪と認定したのである。

しかし乍ら本件第一第二の事実は何れも被告人の故意による点火に其の端を発している事は明瞭であり、しかも発火点附近に於ける延焼の危険の大であつた事は前記論旨第一点に於て述べた通りであるから、本件について不作為による放火の犯意は認められないと仮定しても、原審裁判所としては之等本件火災に至つた諸般の事情を取調べ刑法第百十七条の二所定の重失火責任の有無を究明すべきであつたものと考えられる次第である。しかるに原審は検察官が、第一回公判後最終公判に至る迄、終始被告人に対して不作為による放火罪を主張、且、之が立証につとめているのに拘らず、刑事訴訟規則第二百八条所定の釈明権を行使する事さえせず、且別紙原判決謄本記載により明らかなように重失火罪を認めなかつた理由を示す事もなく単に失火罪のみを認定するに至つた事は審理不尽による軽卒なる判断であつたと云わなければならない。

以上論述したところにより明な如く原判決は事実誤認並審理不尽の違法があつてその判決に影響を及ぼすこと明瞭であるから到底破棄を免れないものと信じ控訴に及んだ次第である。

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